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読書と映画。その他のこと。

2017.8.末頃読了。 無銭優雅/山田詠美 978-4344413528

 

無銭優雅 (幻冬舎文庫)

無銭優雅 (幻冬舎文庫)

 

 

秋の風が吹いた。休日出勤の仕事帰り、スーツ姿でZARAに立ち寄って、年甲斐もなく、後ろにリボンのついた白いニットのセーターを買った。試着室で、来年はさすがに着れないであろうデザインの色違い。白とグレーを交互に着ては鏡の前に立つ私を、きっと十近く年下のショッパーさんはどう思っただろう。白を選んだのは、鏡の端に誰かが立ってる姿が想像できたからだ。来月旅行に行く友達か、件の彼か、違う誰かか、わかんないけど。


白のニットを清々しい気持ちで抱えて、なんでもできそうな気分になった。なんて単純。そういえば、と帰宅してからすぐ本棚に向かった。思い出したのは、先月末に読んだ、山田詠美さんの『無銭優雅』だ。

 

主人公の慈雨は、花屋をやってる四十五歳。実家暮らし。失礼を承知で書きますが、字面だけだと負け犬っぽい。(かく言う私にもその可能性はある)だけど、好きな仕事を自分で選んで、友達と花屋を経営してる。そしてぴったり隣には、死のにおいのする本なんぞ読んじゃってる、社会的成功なんかとは遠いけど、たっぷり愛してくれる彼がいる。いや、どっぷり?四十代男女のアンバランスで穏やかな、ちょこっとだけ香ばしい、そんな恋や愛の話。十代(いや、二十代もかも)の恋のような軽やかな淡い色なんてない。でもそこに、ぐるぐる塗りつぶすみたいなどす黒い感情もない。


好きなセリフがある。
「おれって、慈雨ちゃんと会ってから、ずうっと杓子果報なやつ」
「それ、どういう意味だっけ」
「おいしいものに恵まれることじゃん。そこから転じて、運の良い奴にも使う」

 

私が想像する四十五歳はこんな会話しない。だけど、心が自由なら、きっとそんな会話もアリかもしれない。まっすぐで、淡くて消えちゃいそうな尊げな恋愛なんてできなくても、”そう”思ってくれる人と出会えるまで、自分をやったらいい。この恋愛小説はそう自惚れさせちゃう。「若さ」って無意味な言葉かも、なんて無敵な勘違い。

 

 もしかして、未来の自分は、そんなことない若さは大事よ、と窘めてくれるかもしれない。だけど、私、は僭越ながら、昔の自分に伝えたい。どうせ、いつか死ぬんだもの、齢に捕われず、自分の好きなようにやったらいいよ。過ぎた日は返ってこないけど、捕われすぎるのは面白くない。

 
文庫版のあとがきは、豊島ミホさんが書いている。これもぜひ読んでほしい。最後の一文がツキンとくるのだ。